2024年12月29日。
今日は二度寝ののちに12時頃に起床。 とりあえず三条マクドナルドへ。 ベーコンレタスバーガーセットを頼んで昼食とした。
ドリンクに頼んだプレミアムローストコーヒーを飲みながら、スマートフォンで昨日の日記を書く。 いつもの日記とは文体を変えて、時系列順で網羅的な記述を試してみたところ、思いのほか時間がかかってしまい、気づいたら15時くらいになっていた。
17時から寮のOBである社会人の先輩Tさんと飲み歩く予定があったので、研究をするつもりで持ってきていたラップトップを置きに一度帰宅。 帰路では、大学の試験勉強がうまくいかず最近病んでいるらしい弟に電話を掛けた。 しかし話してみるとそんなに病んではいない様子。 昨日まではネガティブ思考にとらわれていたが、散歩をして自力でメンタルをリセットしたとのこと。 弟は俺と同様怠惰で体力があまりないので、講義形式の授業はほとんどサボっているらしい。 そのせいで授業内容の把握が必須の試験の勉強で困っているようだ。 しかも周りの友人は誰も助けてくれず、詰んでいると言っていた。 ロシアの大学では単位を一つでも落とすと即進級できなくなる。 本当に詰んでいるのかはさて置き、かなり切迫した状況、多くの人がメンタルに支障をきたすだろう。 そこで彼は仮に単位が取れなかった場合のプラン(休学や転学)を用意し、単位が取れれば儲けもの、くらいの楽観的なメンタルに切り替えたようだ。 俺にはできない芸当である。 少し逃げ腰すぎる気もするが、合理的だと思う。 ネガティブな気分に滞留していてよいことは何もない。 弟はそのことをよく理解している。 何とか切り抜けてほしいものだ。
弟との電話を切り、17時に三条駅でTさんと待ち合わせた。 Tさんはファッションを楽しんでいて、京都の街を遊びなれている。 丁度新しいパーカーが欲しかったので、彼に店を案内してもらって服選びの相談に乗ってもらうことに。 服選びは2時間くらいを予定していたのだが、結局最初に入ったChampionで1万円くらいのパーカーを購入した。 「これがいい」というよりも「これでいいや」という感じで購入したのだが、着てみるととても気に入った。 満足である。
店を出たのが17時40分くらいで夕食には少し早い時間だったので、少し河原町の古着屋を散策することに。 2店くらい巡ったところでTさんが実はお腹がすいていると言ってきたので、空いている居酒屋を探す。 年末の河原町は意外と混んでいて何軒か巡った末、立ち飲み屋「すいば」の外のテーブルについた。 冬の寒い中で飲む日本酒の熱燗は格別だった。 Tさんとは世代論や自由と社会的束縛、抽象的な認識と具体的な認識などについて話した。 話の流れを文章で再現するのは困難なのであきらめるが、俺はかなり運命論的な世界観を生きていて、Tさんは俺よりも社会的束縛から自由で世界の全体性の理解への野心を持っているという対立?に落ち着いたと記憶している。
次に立ち寄ったのは餃子のお店「ギョーザ泰三」。 SNSでバズったのだろうか、客は外国人ばかりで、店長が流暢な英語で対応していたのが印象的だった。 焼き餃子を4セットと、俺は少し酔いすぎている感じがしたので、コーラを注文。 食べながら、ここでは俺が構想していた寮の友人を巻き込んだ同人誌づくりの話になった。 俺は数か月前から寮の友人3人を誘って魔法少女まどか☆マギカの同人誌を作ろうとしていたのだが、個人的な多忙さもあってやめようかと考えていた。 そのことをTさんに話すと、俺には根本的に責任感に欠けているところがあると批判された。 その指摘はもっともだと思った。 俺は個人的な欲望から友人に同人誌の話を持ち掛け、文章を書いてほしいと頼み、まだ誰も実際に文章を書いてはいないものの、彼らはどういう文章を書こうかと少なからず頭を悩ませたはずだ。 一緒に映画を観に行って、議論をしたり、ディスコードでアイデアを出してもらったりもした。 そのコミットメントを無下にして、勝手に、ちゃんと話し合いもせずにやめようというのは確かに無責任だ。 俺は自分の文章の構想だけは着々と進めていて、それを外部の同人誌にでも寄稿しようかと呑気に考えていたが、やっぱり同人誌を作ろうと思った。 責任の問題だけでなく、俺がリアルで出会ってきた行動力には欠けるが知性のある人間たちの作品を、俺が媒介となって世に出すことには意義があるだろう。 それに、これはTさんが指摘するような根本的な独善性を乗り越える契機にもなるような気がするのだ。
最後に立ち寄ったのはテクノ音楽が流れるアングラなバー「カズバー」。 古びた建物の3階にひっそりとそれはあって、照明がキャンドルだけの店内は、主張しすぎないアンビエントテクノのBGMとも相まって、神秘的な雰囲気を醸していた。 そこではウイスキーを一杯だけ注文し、Tさんの彼女について話をした。 Tさんは今の彼女と数か月前にTinderで出会ったらしい。 Tinderはいわゆるヤリモクのアプリだと思っていて、自分には縁がないと思っていたのだが、彼によればTinderには一定数、カルチャーに関心のある女性が存在しているらしい。 彼女らはプロフィールで「わかっている」人にだけ通じるメッセージを発しているとのこと。 現にTさんはそのメッセージをキャッチすることで、顔写真を載せることもなく今の彼女と出会い、意気投合して付き合うことになったという。 俺のマッチングアプリ遍歴はペアーズを少し使ったことがある程度だが、良くも悪くも普通で真面目な女の子にしか出会えないので、うまく嚙み合った試しがない。 むしろTinderの方が俺には合っていると言われた。 ここ数年は自分のことで精いっぱいで、今でも女性関係についてはあまり考えられていないが、面白い女性と出会えるならそれに越したことはない。 気が向いたら始めてみるかも。
その後は寮の談話室で深夜まで過ごした。 年末で遠方に住んでいるOBの方々が来ていて、話が盛り上がった。 特に仲良くしていただいていた先輩のTさん(イニシャルが被ってしまった!)とは話しこんでしまった。 こちらのTさんはイラストを描いている方で、俺が創作に関心を持つきっかけをくれた人だ。 Tさんの絵に対する考え方、特に線に対する美学には衝撃を受けたものである。 当時はお互いその美学について語る言葉を十分に持っていなくて、かなり曖昧な話をしていたが、今日はより高い解像度で女性の曲線美や色彩論についての話ができた。 また近いうちに話す機会がありそうなので、話の詳細は省くが、Tさんと話していると「細部に美が宿る」ということを再認識させられる。 俺も早く創作を通じて美と戯れたいという意欲が湧いてくる。 俺にとって、文章はTさんと話していて考えるような細部の美の追求というより、もっと巨視的な美と書くことで考えることの追求という面が大きい。 細部の美への衝動は近いうちに音楽製作にぶつけるつもりだ。