2024年12月7日。今日は丸1日かけてマカオから京都へ帰還した。
昨夜もよく寝られず、朝から身体的・精神的疲れがひどかった。しかしまた飛行機に乗り遅れるわけにはいかないので力を振り絞って起床。午前10時くらいにホテルを出た。
まずはバスを3つ乗り継いで、マカオのホテルから香港国際空港へ向かった。搭乗時間の午後2時35分に間に合うか気が気でなかった。その不安のためか、移動中はずっとしんどかった。
しかししんどさにもかかわらず身体は動いてくれた。人に道を聞いたりチケットを買ったり、旅に必要なことは半自動的にできた。ここ数年高頻度で海外に行っているし、海外旅行も大分慣れてきたようだ。図々しく見知らぬ人に英語で色々聞くのがもはや心地良いくらいである。
空港に到着し急いでチェックインカウンターに向かう。行列ができていて、時間が大丈夫か不安だったが、なんと今回はセルフチェックインができた。日本の旅券を持っているとスタッフの方にセルフチェックインの機械へ案内され、列に並ばずに済んだ。セルフチェックインの可否をあらかじめ確認しておけば、より余裕をもって旅をできるかもしれない。これからはそうしよう。旅は準備が大事。今回の旅の最大の教訓である。
搭乗ゲートは3ヶ月前に香港から関空に帰ったときと全く同じ場所だった。おそらくそのことが原因で、搭乗ゲートに着くやいなや急激に緊張が解けた。
ちょっと面白かったのは、同時に東浩紀『郵便的不安β』を読んだ記憶が蘇ってきたことである。3ヶ月前、たまたま搭乗ゲート近くの椅子で読んでいたからだろう。異国の地の記憶が、それとはまったく関係のない、東浩紀によるエヴァンゲリオンの時評と結びついているのはなんとも奇妙なことである。空港という無色透明な場所が偶然な体験の記憶によって、個人的な色を帯びる。偶然によって私と場所との個人的な関係が作られていく。世界イメージが私のものとして広がっていく。観光の魅力はそういうところにあるんじゃないだろうか。
飛行機が離陸すると今度は躁状態になって、左翼的・被害妄想的な思考が止まらなくなった。日本では階級が不可視化されている、自分より上の階級の奴らが彼らの階級的作法をまるで日本人一般の作法であるかのごとく押し付けてくる、日本のアカデミアは上流階級の文化圏である、なぜ俺はこんな場違いなところに精神安定剤を飲んでまで適応しようとしているのか、不可視化された自分の階級を可視化して連帯し上の階級と闘うべきなんじゃないか、みたいな思考である。この興奮は飛行機の着陸とともに収まった。上の思考は素面の状態でもある程度は正しいと感じるが、被害者意識が過剰である。
たぶん俺は脳の神経伝達系がおかしくなっている。脳が興奮すると古いパソコンを動かしたときみたいに悲鳴を上げているような感じがするのだ。俺が常用している抗不安薬のセパゾンはGABAの働きを強めて脳の神経活動を抑制する効果があるらしい。これが抜群に効いているのは、まさに脳の過剰な興奮が俺の問題の根本にあるからだろう。
色々あったが京都に着くと心が落ち着いた。今日初めてのリラックスの感覚である。京都は俺にとって故郷に最も近い場所なんじゃないかとさえ思う。地元よりも居心地がいい。バスに乗ると周りにいた大学生数人がそれぞれみんなヘッドフォンをしていたのも印象的だった。ここにいていいんだという気持ちになる。日本に永住するなら絶対に京都だと思っている。その思いがいっそう強くなった。