絶望しないための

読書記録と日記を書いています。

2024年12月9日(笑いの地域差について)

2024年12月9日。今日は久々の普通の月曜日。起床後即入浴、ルネでケバブプレートを食べて、午後8時くらいまで研究室で作業した。

まだ少し疲れが残っている感じがあったが、悪くない1日。旅行帰りの生活、いいスタートを切れた。人生はハレとケの繰り返しである。ハレに引っ張られてばかりいても幸福にはなれない。日常生活をそれなりに張りをもって、ちょっぴり楽しく過ごすことが肝要である。

帰宅後は地元の高校の友達2人とラインのグループ通話をした。1人は造船会社の現場職に内定した大阪の大学4年生で、熊本工場でのインターンが印象深かったのだと繰り返し話していた。彼は熊本以外に三重などの工場にもインターンに行ったらしいが、熊本だけ特別だった、そこには九州的なコミュニケーションがあって心地よかった、と熱弁していた。

日本の地域ごとのコミュニケーションの違いについては彼とよく議論しており、俺も関心のあるところである。以前話したのは、笑いの違いについて。関西の笑いは強いボケとツッコミ。誰かが大きくズレたことを言って、他の人がツッコむことで笑いが起きる。九州の笑いは弱いボケだけがあって、ツッコミは不在。誰かが少しズレたことを言って、それに対して誰もツッコむことなく単に笑いが起きる。おそらく関西のボケはズラシが大きすぎてツッコミがないと成立しないが、九州のボケはズラシが小さいのでツッコミが不要なのだろう。このボケにおけるズラシの大きさが地域ごとに違っているために、異なる地域の人間同士だと笑いのコミュニケーションがうまくいきづらい、というのが俺たちの仮説である。また、俺たちの間で同意が取れているのが、東日本にはズラシの笑いが存在しないんじゃないかということである。だから東の奴らとはノリが合わない、東日本に住むのは精神衛生上危険であると最近は思いつつある。

もう1人は東京の大学院1年生である。彼とはそんなに話せなかったが、彼女ができたらしいし楽しくやっているんじゃないだろうか。以前東京に遊びに行ったときに彼の家で一緒にアマガミをプレイしたのをよく覚えている。今度東京に行ったらコンカフェにでも一緒に行くと面白いんじゃないだろうか。